2011-04-15

反教会の人に担がれた霊

正直、運気の下がる投稿です。
とりあげないほうが良いかもしれませんが。

もうずいぶん前の話題ではあります。祝福二世といっても古参の1800双なのでかなり年長なわけです。
なんで今になって、こんな記事かというと、アマゾンで1円で購入できるようになってるのを見て買ったのが最近だったから、ということです。



一水会の鈴木邦男らに担がれての販促活動となったのですね。



「人を好きになってはいけないと言われて」というような題でしたね。
その反動で大沼安正氏がどういうことになったか。
わたしはショックですぐに届いた箱に閉まってしまいました。
しばらくなにも話せなかったです。



「人を好きになってはいけない」という教義はなかったはずだが。
けれど、そんなような感覚に陥っている人も見ないでもない。
献金実績をあげれば教義なんてどうでもいいという現場が生んだ悲劇かもしれない。
本来の統一原理はそんな安っぽいもんではなかったはずだ。


「教会を離れるには」というある掲示板の質問に、「就職して経済的に自立して親元を離れればいちおう『教会を離れた』ことにはなりますが、霊界がどうかはまた別問題です。」という回答をしている人がいました。

大沼安正さんにしても、そうだと思います。



たとえば「所有権返還」ということを言った時期があった。
富の所有者である人間が悪なる思いを離れて神側へ向かうことを表現したものだとわたしは理解した。必ずしも法的な所有権を教会に渡すことではなくて、自らの所属を悪魔側から神側へ変換することと、わたしは理解した。
  しかし、日本の現場では教会に全財産をこの世的に法律登記上「所有権返還」をする運動にすり変わっていたりした。(信徒はサタンか?という感じですが。)


もちろん、家がなくなるかどうかというところまで職も学歴も地位も捧げ尽くし、投げ捨て尽くして見えてくる世界というのは、そういう経験のない人間には分からない境地であり、貴重な神体験ではあります。その実感はわたしも強い。
しかし、教義の恩恵は末端までちゃんと伝達されないといけませんよ。とおもう。


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先日ある歌手について書いたけれど、ただの性同一性障害なら世に巨万といる。そのなかで彼がその詩の中で描く葛藤の世界は、その葛藤の中に「原理」というか世の道理を垣間見させてくれるのだと思う。(もちろん彼は原理から見ればあまりに不十分であるが、まだ原理に近くマシであって、だからこそ人を動かしているのでないかと思う。)


母親のもとを離れる過程で自立の過程で非常に苦労したという大下勇次さんにしても、大沼安正さんにしても、各種性被害者の方々のサイトにしても、その深い理解や経験は特殊で孤独で荊棘の道であるのだが、その特殊性ゆえに、永遠にメジャーには成り得ないもののように思われます。


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2011.5.23追記
 罪人を焼き殺して消すのが原理だとしてもそれはできないのがおとうさま、文師、だということで、自分の子を燃やしてでも救いたい、という心情だとのこと。先日礼拝で聞きました。
 まあ教祖は無謬、というのがどの団体でも決まりなのですが。

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